あの奇跡がなかったら、
深層水豆腐に挑むことは 一生なかった。

なじみの居酒屋で飲んでいたとき、ふと背後の客の話し声が耳に入った。
カイヨウなんとかという行政で管理していた水が、去年から民間にも分水を始めたと言う。
「ミネラルいっぱいの世にもまれな水、ということばで私の耳がつんと起き上りました」
田中幸彦の専門は豆腐づくりである。
友人知人から情報を集めて、それが海洋深層水という陽の光さえ届かない海の底深くを流れる水のことだと分かる。
平成元年には室戸岬に日本初の研究所が設立され、いまや室戸は海洋深層水の先駆けとなっていると知った。
県庁へ行き、たくさんの関係書類提出の手続きをして、ようやくそれを手にした。
その海の底の水がどういう物質であるか、まったく知識のないままテストを敢行する。
まず、原水を薄めず目分量でざあっと通常の凝固剤に入れた。
試食すると、「雷に打たれたようになりました。味が深くなっている」。
ところが、その後何度やっても、あの一回目の衝撃が得られない。
凝固温度帯、タイミング、海洋深層水の分量の奇跡的な完成度によるものにちがいないが、データはない。
暗闇の手探りが始まった。
ほぼ7ヶ月後、そう、これだ、という味わいを摑んだ。
平成9年から発売に踏み切った。
1日1千丁売れれば良しとするか、と踏んでいたところ、いきなり3千丁を超えた。
以後18年、海の底力の豆腐の売り上げは安定感を増すばかりである。

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