コラム

一年が経ちました

2010年12月24日(金)

柴田が室戸に住むようになって、昨日でちょうど一年が経ちました。

ぐわ〜〜〜〜っと駆け抜けた一年。本当に楽しかった。ジオパークの仕事をするまでは、こんなに地質が一般の人にとって役立つものとは思っていませんでした。最初の1週間で室戸にはジオパークの下地があると確信しました。道行く市民に「ジオパークって何かご存知ですか?」と聞くと、これが案外みなさん良く知ってらして、「うちの裏山には化石が出るんだ」とか「岩だけでなく山の形とかも珍しいと聞くよ」とか想像以上に良いリアクションが返ってきたからです。当然、市役所内でも「付加体」という言葉を知る人の数がとても多く、驚きました。ガイドさんも沢山いて、こんなに地質が受け入れられている場所があるんだと感動したのです。

下地を現実にするのは本当に難しいもので、徐所に仕事に慣れてきた3月頃、最初の壁にブチ辺ります。「柴田の書いた看板は分りにくい」「ガイドが分りにくい」とどこからともなく聞こえてきます。観光客からの声は非常にシビアです。地質学者が思っている以上に、多くの人は地質に興味がありません。興味が無い人にいくら説明をしても伝わりません。また、マスコミにジオパークが取り上げられるようになると「岩じゃ儲からない」という声も聞こえてきます。これらは今もなお、課題として残っています。

子どもの目線に合わせることが必要だ。現地審査の直前である8月初旬に「地震火山子どもサマースクール」が室戸で開催されました。この時に、こども達と一緒にジオパークを理解しました。ジオパークは大地を知って、自分の住む町を好きになって、好奇心がかき立てられるものだったのです。研究者が持つ好奇心を、こども達が理解できる、素朴な疑問に噛み砕くのかが重要でした。子どもと話をすると、彼らのあふれる好奇心に圧倒されます。そうか、この好奇心がジオパークの根底に必要なんだと、大人だってそうだよねと、この時に気がつきました。

この後、現地調査があって国内候補地の決定の連絡の日になりました。この日(9月14日)はとてつもなく緊張した一日となりました。現地審査を受けて世界ジオパーク申請の国内候補地に残れるかどうかが決まる日です。朝からいくつかの電話取材があったり、記者会見の準備をしたりとバタバタしているうちに、電話での連絡がある時間になりました。プルルルルと一回のコールで室長が電話をとります。「室戸は残った。」この言葉を聞いた時、安心しました。課題山積みだけど、少なくとも方向性が間違っていたわけではなかったんだと思いました。嬉しい気持ちより、ホットしたというのが正直な感想です。

しかし、すぐに問題にブチ当たります。それは、室戸ジオパークにストーリー性がないこと。僕が来てからも室戸ジオパークのストーリー性の向上はほとんど手をつけていませんでした。そもそもストーリー性ってなんだ!!!!!!!これが、2つめの壁です。ストーリー性と分り易さの両立した申請書をGGN(世界ジオパークネットワーク)に提出しなければならないのだけど、全く筆が進みません。論文を読みあさっても、答えがあるわけでもなかったのです。学生時代の指導教官を訪ねると、「専門家以外とも議論すべし」との言葉。毎日、事務局のスタッフ相手に議論をしました。なんと、申請書の科学的な説明の部分まで事務局スタッフ全員が読んで理解するまでになりました。この過程の中で、文章はより分り易いものに変わっていきました。まだもう1ヶ月あればという時にタイムリミットが来ました。そして、12月1日にGGNへ申請書を提出しました。

現在は、もう一度初心に返って、看板の原稿をつくっています。この宿題はどうやら年越しになりそう。来年は、ジオパークマスター講座も始まり、また忙しくなりそうです。山陰海岸ジオパークの方からの話だと、現地審査のための準備にほとんどの時間を費やしたとのこと。年明けには、GGNとのやり取りが開始されます。とんでもない、一年がまた始まります。ま、一歩一歩確実に進んで行きます。

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